図学教育の現況② 〜製図と設計

ここで、私の個人的経験を元に述べたいと思う。

私の父は工業高校を卒業した後、ある会社で図面を描く製図部門、古い言い方では「図工」という職業に就いていた。実際当時の私の家にはドラフターが置かれており、子供時代に触って怒られた覚えがある。20世紀初頭まで、日本では「図工」はあまり地位が高くなかった。日本のヒエラルキー制度の影響かもしれないが、図工がその上の職業にあたる技師になることができなかった。(図学教育シンポジウム第6回 3.2  日本の「図工」とアメリカの「ドラフツマン」より)それが時代の変革とともに変化していくことになる。私が高校に入り将来の進路を考えようとしていた1990年頃はバブルの絶頂で、日本車が売れすぎてアメリカ人が日本車を破壊するというジャパンバッシングが起きるような時代であった。その頃になると図面を描けるということは、一生稼げる職能を身につけたこととして捉えられていた。

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ドラフター(wikiより)

そして、私は父が家庭の金銭的事情から大学進学を断念したという思いを受け継ぎ、工業大学への進路を取ることになる。私が工業大学へ進学を決めた理由には、この父の思いが根底にあるわけだが、単なる感情的なものではなく、製図という職業の限界が関係する。

先ほど設計・製図の重要性が増してきたと述べたが、父の職業はこの製図を手作業で行うものであり、設計を行うことはできなかった。機械設計を行うためには、一般的な工学系の教育として5つ程度の力学をマスターする必要がある。これは5力(ゴリキ、参考:香川大学工学部の材料力学の講義資料)とも呼ばれ、私の行った大学では材料力学、熱力学、流体力学、振動力学、機械力学(電磁気や摩擦を入れる場合もある)だったと思う。力学とは高校までの物理のことであり、機械系の学科ではこれら多様な物理と数学を四六時中勉強する。機械系の設計とは、この力学を根拠にして性能の高い製品を設計することを意味する。

工業高校卒の父にはこれらの知識が得られず、設計職に就くことができなかった。設計者は図工を使う側の人間であり、私はそのような父の経験を元に設計者になるために工業大学を目指した。

そして、当時の製図工にはまだ精密な図面を「手書き」するという図面職人的な価値があり重宝されていたが、現在ではCADプロッター(ペンプロッター)、もしくはもう紙に起こさずディスプレイ表示のまま製造、さらにはCADのデータさえあればいきなり加工機械が製造する(デジタルファブリケーション)ところまで来ており、図面職人は完全に廃業することになる。